《ニルヤ、まさてちよわれ。 》
2018 年 F6 号 W41.0×H31.8cm
(共通語訳 ニライの神様、どうか
勝利を。 )
販売価格 ¥220,000-(税込)

画材[Mixed media(エンカウスティーク蝋に着彩)]

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ニライカナイとは、独立精霊の住まう死者の国。

ニライ現地での呼び名ニルヤ(以下)は豊穣をもたらす国神であり、火を司る。悪しきものを閉じ込め食う。あがるい(東)の曙である。

 遠い昔、琉球の民は、かつての太陽の居所を穴の暗がりの中と考えた。
日中は天に輝いて世を照らし、夜は穴に篭るという。
時に暗がりから世界を見下ろし、地の底で真っ赤な瞳をこじ開け、人々と自然の暮らしを捉える。

ニルヤ神…その姿に出会った時、太陽を見た時、民達は眼をこじ開け、また目覚められた朝に感謝して漁へ出るのです。

沖縄の古い方言に「グソウムドイ」という言葉があります。
意味は「黄泉から戻ってきた人間」、まだ殯の風習がある島のユタ(所謂巫女)さんが使います。
グソウは久高島のとある墓地地帯の名前。本土の言葉にすると「後生」。

後身還り。現世の異物。
どちらでもない存在、幽霊や神様とはまた違う種類。

漁網は盾の呪具に使われました。悪霊憑依を防御する為の結びの民俗でした。

天網恢恢疎にして漏らさず(悪は天の張る網の目からは出られぬ)というように、
籠や格子含め、祈りを込めて編み込まれた形には邪視を封じる能力があったようです。

隙間からあらゆる目が見ている、故に疫病神が入ってこない…という慣習。

人々は死ぬとマブイ(魂)がニライカナイに行き、海の彼方より境界を超えて戻ってきます。その際に漁師は日常で魂守としても働いていたのではないでしょうか。

こんな葬送歌があります。

ニルヤリューチュ、ウシュキティ
ハナヤリューチュ、ウシュキティ
フガニジャク、ハミヤビラ
ナンジャジャク、ティリヤビラ

〘意味〙
歳を取り寿命尽き肉体は煙となった。だがまた遊べるから幸せだ。ニルヤカナヤ、東大主様、どうか盃をくだされ。金色のものでも、銀色のものでも構いません。


この唄は一般の神女や村人には歌われず、「クニガミ」などの神役のみに唄われるといいます。
海は何処までも渡る架け橋、大地は魂が帰って来る扉。
また会いましょう、必ず会えましょう。
そんな死後への想いが、沖縄の人々の美しい魂に刻まれているのです。


私が作品に宿る意味として、多用する眼。視覚表現とは、魂の交流。
どんなに世が苦しくとも、私たちは楽園に帰るという誓いの扉として芸術がある。
人も守護神になって、子孫を守ると誓う、そしてコネクションは歴史を作る。
琉球神道には祖先崇拝も深く根付いている。
ヒヌカン(火の神)とトートメー(仏壇)に向かい、毎日、家内安全を祈る。
三大祖霊祭の十六日祭ではグソーと呼ばれる【あの世のお正月】を迎え、祖霊を盛大にもてなします。さぞかし愉快なことでしょう。